住職より、今伝えたいこと

宝泰寺住職より、今伝えたいこと

 私たちは心の底から「ありがとう」となかなか言えません。なにか口に出すのにてらいがあったりしますが、やはりやってもらって当然だとかそれは義務だと思っていたり、ギブアンドテイクと考えてしまうところがあるからでしょうか。 その通りかもしれませんが、よく考えてみると、すごく心が鈍感になっていないでしょうか。IPS細胞でノーベル賞をもらった山中伸弥教授が母からいただき、とても大切にしている信条があります。 「ものごとが成功したときは、皆のおかげ。失敗したときは自分の力不足、自分の責任」というのだそうです。

 研究が成果をあげたのは、教授のすぐれた才能と弛まない努力があってのことですが、研究に協力した、手伝った人々の力の集積があってのことです。一人では人間は無力です。山中教授はこの母の教えをいつも念頭に、謙虚な心を失わず、日々医学の道を邁進しているのだと思います。 「おかげさま」とは感謝の心です。その心は自分を虚しく、空じたとき、限りないめぐみの中を生きていることが、初めて観えてくる心です。

 人はともすると、自分の思いで生きています。自分には関心は何倍も持っているのに、周囲には意外に関心がとても低いのです。だからそういう自己中心的な心、自我的な自分を否定しなくてはなりません。  否定する、空じるには、三つの方法がありますがここでは二つだけ述べます。

 一、 心から懺悔することはなかなか難しい。なにかどうしようもないことに行き詰まったり、掛け替えのない人を失ったとき、自分のいたらなさがわかり、深く反省します。そしてとても素直な本来の心になります。

 二、 心と体を落ち着けることです。心身が落ち着くと、自ずとわが思いや感情が空じられて、今まで気づかないものが観えてきます。私自身も修行がきびしくて、不平不満ばかり口に出していました。坐禅のおかげで、あるとき私一人が頑張っているのではない、寺にいる父母、姉妹、友たちの多くが、「頑張ってくれ」という願いの中、修行していることがわかりました。道場の修行中、良き老師、よき修行仲間によって、自ずともまれ、とても自分を磨くことができたことは、まちがいありません。

 思えば、道場の日々は人として成長していくうえで欠かせない仏法の世界にめぐまれていたのです。座禅をして、自我の角がとれ、素直な心になれたから、気づかせてもらったのではないかと思います。  この素直な心の究極は「無の心」「本来の自己」だと禅は教えています。本当の自己に目覚めることができれば、常にどこでも感謝の心が生まれてくるのだと思います。

おのれを置きて  誰によるべぞ  よくととのえし
おのれにこそ  まこと えがたき  よるべをぞ得ん
法句経 一六〇

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藤原東演

1944年静岡市生まれ。臨済宗妙心寺派宝泰寺住職。文化発信の場「サールナートホール」館長。「こころの絆をはぐくむ会」代表。
京都大学法学部卒業後、京都の東福寺専門道場で修行。妙心寺派教学部長、同布教師会会長、花園学園事務局長などを歴任した。